オフサイト(仕事以外)に会社らしさがでる
皆さんこんにちは。インターン生の青木玲仁(りょーと)です。
これまでウィルフォワードと関わり、多くの経験をさせてもらいました。その中でもウィルフォワードの価値観やそれを体現した文化には多くの刺激を受けてきました。
例えば、仲間の誕生日を盛大に祝って日頃の感謝の気持ちを伝えることや、ウィルフォワードと関わりの深い人たちを誘って遊びに行くこと(通称:ウィルレク)など、ウィルフォワードって仲間との時間をホントに大事にしているなって感じます。
6月にはみんなでマイナスイオンキャンプと称して、僕の故郷山梨県にある西沢渓谷へキャンプに行きました。
渓流登山やマス釣り、温泉で疲れを癒し、夜はキャンプ場にてみんなで夕飯作り、そしてキャンプファイヤー。
ただ遊んでいるように見えて、ウィルフォワードが行うレクリエーションはちょっと違います。結果、みんながお互いをもっと好きになる工夫がいたるところにあるんです。その仕掛けは別の機会に話すとして、とにかく遊ぶ時も全力な僕らは本当に楽しくて充実した時間を過ごすことができました。
それは、みんなで温泉に行った時のことだった・・・
みんなで温泉に行き、露天風呂でくつろいでいると、突如先輩社員さんに呼ばれました。
先輩「(僕の方を見て)コチラの方は地元の方で良く来られるんだってさ(おじさんの方を見て)コイツ、山梨出身なんですよ」
どうやら温泉に来ていた山梨出身のおじさんと話をしていて、山梨の話になったので山梨出身の僕を呼んだみたいです。そんなわけで、おじさんとの長話が始まります・・・。山梨のどこに住んでいたかとか、どの辺りに遊びにいったとか、どんな家族なのかとか色々と話をしました。
僕が何気なく自分の父の話をしたところ・・・
おじさん「もしかして、青木さんって、、、(中略)あの青木さん?」
りょーと「あ、はい。そうです。その青木です」
なんと、そのおじさんは僕の父のことを知っていたのです。今まで外で父親の話を聞いたことは一度もなかったので正直驚きました。同時に自分の父親が周りに影響を与えていたんだなと気付きなんだか嬉しくなりました。
ちなみに、僕の親父ってこんな人
青木健二郎
彫刻家(木彫専門)
山梨県立美術館で作品展を催したり、東京、横浜でも何度か個展を開いたり、クラフト市場で作品を売ったりしていたのが僕の父親です。
しかし、彫刻家として生計を立てていくことは困難で、生活費はもちろん、僕らの養育費も稼がないといけないということで、作品制作の合間を縫って、農業の手伝いや大工仕事なども請け負っていたりもしていました。
父と真剣な仕事の話などをしたことは一度もなかったので、実際何を考えているかはわかりませんでしたが、推測するに何のしがらみも無ければ、きっと父親は彫刻に没頭したかったと思います。僕が大学進学と同時に東京で一人暮らしすることになったので、”いつか”父と真面目に話が出来ればなと思いつつも、ゆっくり話す時間はなかなか作れずにいました。
いつかはいつ来るのか・・・
そう思ってはいたものの行動に起こせていなかった最中、父は体調を崩し病院にかかることになりました。検査の結果は胃癌でした。手術をして胃を全摘出しました。抗がん剤で治療を続け、少しずつ回復していきましたが、療養中はまともに食事をとることも出来なかったようです。
食べることで活力を得ていたような父からすれば、かなり苦しかったんじゃないかと思います。タフでちょっとやそっとじゃ倒れないというイメージの父親でしたが、この時ばかりは人はいつ倒れるかわからないと感じずにはいられませんでした。残りの時間を意識せずにはいられませんでした。
3年前の大晦日
毎年、年末年始は帰省していたわけではないのですが、父の体調が優れないということもあり、この年の大晦日は実家に帰省し、家族と年を越すことにしました。久々に家族と過ごす時間を作り、父の運転で家の近くのホームセンターに買い物に行ったり、ソーラーパネルがズラリと並んだ太陽光発電所を見に行ったりしました(僕の実家がある北杜市は日照時間が日本一らしいです)。
せっかくだから夜は一緒に呑もうという話にもなりました。
「やっと親父と飲みが出来る!」と楽しみでしたが、父の体調が急に悪化していまい、結果その楽しみは叶わず終いとなりました。。
「お父さんも来年は元気になって頑張るからな」
そう言い残して、父は2階の寝室へあがっていきました。
これが、父と交わした最後の会話になりました。
身近な人の死
当時は精神的に相当きつかったです。その上、大学は期末試験シーズン。体育会の部活で主将を務めていたため、周りを引っ張っていかなければいけない立場。バイトも続けていかなければいけないという状況。正直、何度も心が折れそうになりました。
それでも折れずにやってこれたのは周りに支えてくれる方々がたくさんいてくれたおかげです。
心の傷はすぐには癒えずとも、立ち止まることなく少しずつ前に進んで乗り越えていこうとすることができました。ちょっとした言葉かけ、些細な気遣い、勇気付ける笑顔。たくさんの人々に支えられて生きていることを実感し、同時にもっと身近な人たちを大切にしていかなければいけないと思うようになりました。
しかし、時間が時間が経つにつれ、そんな気持ちも少しずつ薄まっていき、結果元に戻っていきました。
ウィルフォワードとの出会い
2013年12月。就職活動を始めて間もない頃、ウィルフォワードが学生向けに開催している「ウィルフォワード体験会THINK」に参加しました。
普段伝えられていない愛情(潜在愛)を行動や態度に表ししっかりと伝えること。まずは自分自身を大切にし、次に身近な人を大切にしていくというように、内側から外側へと広げていく「インサイドアウト」が大事。
これらの話を聞き、ふと忘れかけていた感情がよみがえってきました。今までだって身近な人たちに感謝していたのはもちろんだけど、その気持ちを伝えられていただろうか?そう問われても、まっすぐに「はい」と答えられる自信はありませんでした。では、どうするか?と考えた時、親に感謝を伝えることから始めようと思いました。
23歳になって考えた親孝行
5月11日、母の日。父が亡くなった年以降、何もしなかった母の日。何を贈るのが良いかと考え、何度もWebで検索し、これがいいんじゃないかというものを選び、5月11日指定で届くように配達依頼。贈ったもの自体は簡単なものではあったけれども、今年はプレゼントを贈るという一歩を踏み出すことができた。そして、母親にも喜んでもらうこともできました。
じゃあ、父の日はどうする?
そもそも父がいた時でも父の日でお祝いしたことは一度もありませんでした。
「もし親父がいたら何がしたいか?」
何をしたら喜んでもらえるか?と考えた結果、あの大晦日の夜出来なかった飲みがしたいと思いました。
6月15日、偶然にも山梨でキャンプをしていたこともあり、お願いして帰路は別行動で、そのまま実家へ帰省。実家に住んでいる兄を誘って、兄弟初の差し飲みをすることにしました。
兄はお酒に強くないのですが、今回の企画を持ち出したら、気軽に乗ってくれました。結局、兄は早々に力尽きて寝てしまいましたが、親父の写真を飾って、兄弟二人で親父の話をしながら酒を飲もうとしたこと自体が大きな一歩でした。
親父と一緒に飲めたわけではないけれど、息子二人が楽しそうに飲んだり話したりしている姿を見て、きっと喜んでくれているんじゃないかなと思います。「これからもイキイキとしている姿を見せていかないとな」、そう誓った夜でした。
そして、母親の誕生日が近づいてきました。毎年メールを送るぐらいで済ませていたのですが、今回は兄妹3人からお祝いをしようということになりました。兄妹で話していると話は盛り上がり、せっかくだからサプライズにしようという話に。
結果、サプライズは大成功!!母親も喜んでくれたようで本当良かったです。
父の日飲み、母親のバースデイサプライズ。これらの企画により、家族内でのやりとりがとても増えました。LINEの家族グループを作るきっかけにもなったし、ご飯を一緒に食べる機会も増えました。
家族を大切にしたいという思いが、潜在愛を形にするという行動を起こさせ、その行動が家族の絆を深めることにつながりました。これからも家族を大切にしていくと同時に、身近な人たちへも感謝の気持ちを伝えていくことで、より強い関わりを築いていきたいと考えています。
親孝行ってどうやってやるんだろう?って考えていること自体が既に愛で、あとはその愛を伝えるために一歩踏み出すだけなんだと気付くことができた話でした。お読みいただきありがとうございました。
※第2弾家族孝行記事「ふと思うことがあって、家族孝行してみた」はコチラから!