どうも、シムシムです。今日は親孝行についてのお話です。
僕は割と親孝行をしている方だと思います。
母親とは友達みたいに二人で居酒屋に行ってサシ飲みもするし、
友達や彼女もすぐに会わせて一緒に飲んじゃう。
そんなわけで、『シムママ(写真)』は、友人の間でも名物のかあちゃん。
それに、祖母の家に足を運んだりして、おばあちゃん孝行もちょくちょくしています。
僕の親孝行の定義
それは、とっても単純で
『顔を見せる』
それだけです。
別々の場所に暮らしているとそれが重要なんですね。
たまに行くと、
いつも食べないような高級なお菓子くれたり、
食事を作ってくれたり、
お小遣いもくれる。
始めは「いらないよ!!」と言っていたんですが、
母も祖母も嬉しくてやっている。
主体的な愛があることに気づいた訳です。
だから『僕が何かをしてあげる』親孝行ではなくて、
『してくれるのを素直に受け取る』親孝行も大切だと思います。
愛する子供にいろいろとしたいものなんですね。
だから、遠慮せずに受け取ろうと思っています。
だから、最近は実家に帰る際に親から「何食べたい?」と聞かれたら
昔は「有りものでいいよ」と言っていたんですが、
最近は「すき焼き!!」と、遠慮しないで、
食べたい物を言うようになりました(笑)
素直に話せない息子と親父
そんな僕なのですが、父親とは何か、
こう素直に話せないと言うか、苦手だったんですね。
小さいときは、とっても愛を注がれていたと思います。
毎週、いろんな所に連れてってもらった記憶があります。
でも、遡れば、高校生ぐらいの反抗期から、あんまり話さなくなり、
そこから延長モードでここまできている感じです。
「ああしろ、こうしろ」と言われるの嫌で嫌で、当時はかなり反抗しましたね。
話さない、会わない、言うことを聞かないという
非暴力不服従の「ガンジー」スタイルを
取ることにしたのです。
「ガンジー」なんて言うけど、
ただの無関心なわけですから、
ガンジーの精神性はまったくない(笑)
それ故に、なかなか会話することがなくなってしまったわけです。
なるべく距離を置くようにしたわけです。
それは、社会人になってもずっと父とは接点がないままでした。
歳を重ねて分かる親のありがたみ
学生時代や20代の前半は毛嫌いしたいたわけですが、
年を重ねるごとに親父って
「すごいな」と思うようになってきたわけです。
父はビジネスマンとしてワーカホリックに日夜働き、
会社で出世をして、家族5人を養ってきた。
この「当たり前」が、
すごいと思える歳に、僕がなってきた。
でも、そういうことってあまり言いづらいし、
素直になれないのが、息子と親父の関係ですよね!?
まぁ、でもそんな気持ちを突破するために
今年は挑戦しました。
60歳の誕生日に
「お誕生日おめでとう。父の生き方に尊敬しています」云々とメールしておきました。
これは僕にとって、
めちゃめちゃ
勇気がいることでした。
そして、返信がありました。
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ドキドキ
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「ありがとうございます。
ここのところ暑いので身体に気をつけて下さい 父」
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オレは、取引先かっ!!笑
でも、伝わったと思います(笑)
父らしい返信でした。
還暦祝いの家族パーティーを実施した
そして、僕と母の呼びかけで、父の還暦を祝う会を催すことになりました。
小さい頃、家族でよく行った千葉の別荘に、
家族全員で集まり父の60歳を祝ったのです。
孫たちも集まったので賑やかな会になりました。
僕も今回はちょっと奮発して高価なベルトをプレゼント。
ワーカホリックな親父には一生、働いてもらいたいと思っているので、
その意味を込めておくりました。
「おーこれは高そうだ、いくらする?」
人のプレゼントの価格を単刀直入に聞いてくるので、
びっくりしましたが、
「高いよ、秘密!」
なんて返しました。
「ちょうど、ベルト欲しかったんだよな〜」
と、とても喜んでくれていました。
僕もほっこりしました。
その後も、
会話は多くなかったものの、
親父に感謝が
伝わったんじゃないかと思います。
いまでも、家族の誰かが席を外して、
突然、二人になると何を話していいのか分からず、
そわそわする感じですが、こうやって少しづつ、
素直になっていけるように精進しようと思います。
身近な人間関係を良い関係にしていけることが、
世界を平和にしていく第一歩になっていけるんじゃないかと思う僕は、
少しガンジーに近づけただろうか!?
これからも無理のない親孝行をしていこうと思います。