FAMILY 仲間の紹介

利害抜きの関係。
同志であり、もはや家族。

マラソンタレント

加納 由理パンちゃん

Yuri Kano

あなたのWill(理念)を教えてください。
生涯ランナー。人に優しく、謙虚な人間になる
あなたのVision(ビジョン)を教えてください。
ランニングを通じて、目的・目標を持つことや続けることの大切さ、達成するまでのプロセスを楽しむことを伝えていく
あなたのFan(好きなこと)を教えてください。
家族、ウィルフォワードの仲間、友人、ラン仲間、パンちゃん(パンダのぬいぐるみ)、町屋カフェ、ナナデコール、ふなっしー、ピノ
プロフィール
私立須磨女子高等学校 / 立命館大学経済学部 / 資生堂ランニングクラブ / セカンドウィンドAC / 資生堂ランニングクラブ
自己ベスト
1500m 4分27秒95(2003年)
3000m 9分07秒19(2005年)
5000m 15分21秒70(2005年)
10000m 31分53秒07(2004年)
マラソン 2時間24分27秒(2008年)
主な戦績
1998年 日本学生対抗選手権 10,000m 第2位
1999年 日本学生対抗選手権 10,000m 優勝
1999年 日本学生種目別選手権 5,000m 優勝
1999年 ユニバーシアード 10,000m 第2位
2000年 全日本学生選手権 10,000m 優勝
2000年9月 日本選手権 10,000m 第8位
2004年9月 全日本実業団対抗陸上 10,000m 第3位
2007年1月 大阪国際女子マラソン 2時間24分43秒 第3位
2007年9月 北海道マラソン 2時間30分43秒 優勝
2008年1月 大阪国際女子マラソン 途中棄権
2008年3月 名古屋国際女子マラソン 2時間26分39秒 第3位
2008年6月 札幌国際ハーフマラソン 1時間08分57秒 優勝(自己記録)
2008年11月 東京国際女子マラソン 2時間24分27秒 第2位(自己記録)
2009年2月 香川丸亀国際ハーフマラソン 1時間09分22秒 第2位
2009年2月 泉州国際市民マラソン 途中棄権
2009年4月 ロンドンマラソン 2時間28分44秒 第11位
2009年8月 ベルリン世界陸上女子マラソン 2時間26分57秒 第7位
2009年11月 ニューヨークシティマラソン 2時間39分05秒 第9位
2009年12月 香港東アジア競技大会ハーフマラソン 1時間12分03秒 第2位
2010年3月 名古屋国際女子マラソン 2時間27分11秒 優勝
2010年7月 札幌国際ハーフマラソン 1時間11分47秒 優勝
2010年11月 広州アジア競技大会女子マラソン 2時間36分40秒 第7位
2011年3月 ニューヨークシティハーフマラソン 1時間14分59秒 第21位
2012年3月 名古屋ウィメンズマラソン 2時間36分37秒 第27位
2012年9月 ベルリンマラソン 途中棄権
2014年1月 2014大阪ハーフマラソン 1時間16分12秒 第4位
私の人生を振り返って
子供の頃なりたかったのはアラレちゃんで、とにかく子供の頃はおてんば娘と言われていました。5つ上の兄の影響もあってか、男の子と遊ぶことが多く、遊びと言えば川原にザリガニかカニ採り、落とし穴作りといったところでした。 七・五・三の際には、着付けをしてもらったにも関わらず、遊びたいのが我慢できず、母が目を離したすきに着物のまま自転車で遊びに行ってしまい、母親を困らせてしまったことがありました。

子供の頃から走るのは得意で、小学生のマラソン大会では常に1か2位でした。兄も陸上をしていて、大会の応援によく連れていってもらいました。学校のエースとして活躍している姿を見て、自分も色んな大会に出ていけるような選手になりたいと思うようになりました。

中・高生の頃は勝ち切れないレースが多く、メンタル面が弱かったのですが、大学入学後に十倉コーチ(現、立命館女子陸上部コーチ)の指導により、力を伸ばし、インカレ優勝、ユニバーシアードでメダル獲得という目標を達成することができました。

学生時に初めて全国タイトルをとったことで、自分がうれしかったこと以上に、周りが一緒に喜んでくれるという、今までに味わったことのない喜びが得られました。

2001年4月に資生堂へ入社し、トラック種目を中心に競技に打ち込み自己ベストを更新。また、駅伝では長い距離の区間を走ることが多くありました。

2006年の全日本実業団女子駅伝で優勝した時は、本当に優勝してしまったことがしばらく信じられませんでした。優勝インタビューで全く気の利いたコメントが出来なかったことは、今でも悔やまれます。

2007年1月に人生初のフルマラソンに挑戦。とにかくあっという間に終わってしまったという感じでした。子供の頃は「フルマラソンを走る人は変人だ」と思っていたのに、今は自分がその変人として走っている。そんなことを思うと、走っている最中も少し笑えました。

競技人生後半は、オリンピックと世界陸上競技選手権で日の丸を背負って走ることを目標に掲げたマラソン人生でした。

国内レースでは安定して好成績を残すことができましたが(2や3位など)、なかなか勝ちきれないレースが続きました。今、振り返ると勝つにはもう一歩覚悟が足りなかったのだと思います。その後、2010年の名古屋国際女子マラソンは、調子は万全ではなかったのですが、絶対に負けられないと思って挑んだレースで、勝利することができました。

2014年5月の引退までの3年程は、ケガに悩まされる日が続き、競技を長く続けることの難しさを知りました。ケガで走れない日々は辛かったのですが、この期間で人との出会いもあり、人の温かさをとても感じた期間でした。この期間に人として成長することができたようにも思います。

競技引退後に自分と向き合って考えた結果、「自分にはマラソンしかない」と不安になりましたが、マラソンを通して培ってきたことに自信をもって、多くの人に走る喜び、走れる喜び、達成する喜びを伝えていきたいと思い、第二の人生を走り出しています。

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